いつどこで撮ったか思い出せない写真のこと。
『思いつきファイル』や『とりあえずボックス』を整理していると、出てくる、出てくる。いつどこで撮ったか思い出せない写真の数々。
上の写真も、そのうちの1枚だ。
アフリカのどこかの国のジャングルの中だろう。夕焼け、それとも朝焼け?
2度と同じ場所に辿り着くことはできないだろうな。それだけは確か。
これはたぶん、インド洋に浮かぶ島国の山村集落だったと思う。マダガスカルか、モーリシャスか。七面鳥は私に求愛しているのだろうか。
これもはっきり思い出せないけど、西アフリカ・ベナンの湿地帯だっただろうか。
我ながらよく撮れてるなあ、いい感じだなあ、と思える写真もけっこうある。
この手の写真は、とりあえず、あたらしくフォルダを作ってひとまとめにして・・・。
いかん。また「とりあえずボックス」を増やしてしまうところだった。
あたらしいフォルダを作って整理するのは良い。でもフォルダにはちゃんと「いつどこで撮ったか思い出せない写真」とタイトルを付けよう。そして、特に良いなと思う写真はアトリエ・トモンド本館のギャラリーに掲載することにしよう。
さあ、思いついたらすぐやろう。「とりあえず」は禁句だ。
とりあえずボックスのこと。
先日、「思いつきファイル」(特に電子版のほう)を整理していて気付いた、というか思い出したのだけど、過去にもこうした整理作業を試みていたのだった。一度だけではなく、何度もだ。そうした作業を完遂できず挫折した痕跡として、「整理中_〇月〇日」とか「作業中_〇月〇日」などと題されたフォルダがPCの“奥底”からいくつもいくつも出てくるのである。
そこで、まずそれらのフォルダをひとまとめにする作業を始めることにした。あらたなフォルダをひとつ作って、その中に「整理中」や「作業中」のフォルダの中にあるファイルを整理しながら移していく、という作業である。とりあえず、の作業である。だからあらたに作ったフォルダのタイトルは「とりあえずボックス」にした。
んー。とりあえず、の作業。ああ、私が陥りがちのループ。
すでにPCのデスクトップには、「とりあえずボックス_2022年10月2日」、「とりあえずボックス_2022年10月30日」、「とりあえずボックス_2022年11月3日」と名前が付けられた3つのフォルダが並んでいる。つまり、過去に整理しようと思い立ったものの整理しきれず途中で断念して放置してあったフォルダをひとつひとつ開いて中にあるファイルをひとつひとつ開き「ああ、こんなこと考えてたんだなあ」とか「こんなこともあったなあ」などとしばし感傷に浸った後でそれらのファイルをあらたに作った「とりあえずボックス」というフォルダに移動させていくだけのことで、しかも一度でその作業が終わらないものだから「とりあえずボックス」というタイトルの後ろに作業した日の日付を入れて放置し、結局のところ「とりあえずボックス」がどんどん増えるだけで過去に書いた文章や過去に撮った写真は一向に整理されぬままなのである。
これではいかん。
気を撮り直し、気合を入れ直してこの週末は「とりあえずボックス」の数を減らすことのために費やそうと思っている。
atelier-tomonde-annex1.hatenablog.com
アフリカで釣りをした話。
上の3枚の写真は、入っていたフォルダの名称が『2009-2010_年末年始_ダカール』となっているので、西アフリカ・セネガルの首都ダカールまたはその近郊で撮ったものであるはずだ。釣れた魚の写真は、たぶんハタの類だと思う。
私は釣りが好きで、長期の出張や駐在先の国々で、休日によく、海や川、沼などに釣りに出かけた。
だから『思いつきファイル』には、ほかにもあちこちで釣りをした時の写真や、釣りにまつわる、エッセイ風の日記がいくつかある。下はそうした日記のひとつだ。書いた時期も場所も正確なところは忘れてしまったけれど、おそらく西アフリカ・ギニア湾沿岸のどこかの国での出来事だったと思う。
***
― 良く晴れた日曜には、こんなふうに河口近くの橋の下で、のんびり釣り糸を垂れるのがいい。魚が釣れることはほとんどないのだけれど。
今日の釣果は、だらりとのびきった茶色い靴下片足分と、65cmx80cmくらいのポリ袋一枚。どちらも、竿はかなりしなった。
釣れなくったっていい。こうして水のある場所でぼんやり過ごす時間が、僕は好きだ。
東京はもう、秋の冷たい雨が降り始めている頃だろうか。
こちらは相変わらず、夏である。思えば、ずーっと夏だ。いつも同じトロピカルな花が咲いていて、いつも同じ野菜が市場に並んでいて、いつも同じ青空にでっかい太陽が浮かんでいる。
もしかしたら、ここでは時間が流れてないんじゃないだろうか?ある夏の日を境に、時間が止まってしまったのでは?それなら、僕はここにいる限り歳をとらないんじゃないだろうか。
そんなわけありませんね。はい。鏡を見れば、すっかり白髪が目立つようになった今日この頃です。
河口の向こうに拡がるギニア湾の海原に、大きなコンテナ船が浮かんでいる。どこの船かな。何を積んで、どこに行くんだろう。
もうじき日が暮れる。さあて、そろそろ帰ろうか・・。
大きく伸びをして後ろを振り向くと、つば付きの黄色い帽子を被った若者がひとり、口笛を吹きながらこちらに向かって歩いてきた。のんびりした足取り。若者は、僕の手前2mのところで立ち止まり、何も言わず、ゆっくり空を見あげた。
僕は、川に視線を戻す。淀みに浮かせた赤い玉うきが、水面に小さな円を描いている。下で小魚が餌を突いているのだろうか。くいっと引っ張って、少しうきの位置をずらしてみる。沈む様子はない。
横に立つ若者のほうから、衣擦れの音が聞こえてきた。
…ん?
若者に視線を向ける。
え? 僕は少しひるんだ。
見れば若者が、するり、するりと履いていたズボンとブリーフを下ろしているのだった。
え。え。え?
若者はそのまま、川に背を向けてよっこらしょとしゃがみ込み、膝の上に肘を乗っけて頬づえをついた。
「え。・・う・ん・?」
川面に夕日が反射して、きらきら光っている。船着き場に繋がれた小さなボートが、波に揺られてチャプン、チャプンと音をたてた。
やがて若者は、ゆっくりと立ち上がった。川の流れに運ばれていく自分の分身を確認しながら、ブリーフを履き直し、ズボンを上げ、しまり具合の悪いファスナーを少しがにまたで立ってくいっくいっと指で持ち上げた後、
「釣れるかい?」
僕に屈託のない笑顔を向けて言った。
「いやあ、さっぱりだね」
僕も笑みを返す。もうひるんではいなかった。
沖に向かうコンテナ船が、「ボー」と少し長めの汽笛を鳴らした。
さあ、今日はもう、帰ろう。
***
後半、かなりシュールなかんじになっているが、すべて現実の話である。時と場所は思い出せないが、目にした光景ははっきりと覚えている。
さて、これは釣れなかった日の記録だが、もちろん釣れた日だってある。冒頭の写真にあるセネガルの海岸ではハタの他に、マダイやイシダイなんかも釣れたし、セネガル川だったかニジェール川だったか、西アフリカを流れる大河では、大きな電気ナマズを釣り上げたこともある。釣り上げて掴んだら、ビリっと痺れた。
それらの写真もフォルダ内のどこかにあるはずなので、見つけたらここに追加しようと思う。
混沌
前回は、セネガル・ダカール近郊の民芸品街での出来事について書いた。店員たちとの会話を思い出して苦笑しながら、なぜかアドレナリンが分泌して元気が出てくるような気がした。アフリカ各地でよく経験する、ある意味混沌としたあの掛け合いが、意外と好きなのかもしれない。癖になる刺激、とでも言ったら良いだろうか。
今回も、「思い付きファイル」に挟んであった日記から、かなり混沌とした光景を書き綴った部分を抽出してみようと思う。
上はセネガルとモーリタニアの国境付近で撮影したもの。紙焼きの写真をスキャンした。これも前回のものと同様、かなり昔に撮った写真だ。原本には1996年の日付がっ入っている。1枚目と2枚目は間違いなくモーリタニアだが、3枚目はセネガル川を挟んで隣接するモーリタニアとセネガルのどちら側で撮ったものか、忘れてしまった。
この時私は、このモーリタニアの南西部にある、ロッソという町に長期滞在していた。隣国セネガルとの国境をなすセネガル川の川畔に位置する、小さな町だ。
モーリタニアは、とても暑かった。毎日とにかく暑いので、仕事を終えてホテルに戻ったら、「何はともあれ、とりあえず♪」と言いながら冷えたビールの栓を抜いて、一気飲みがしたかった。
でも敬虔なイスラム教徒たちが暮らすこの国では、当時、異教徒の外国人がホテルの部屋で飲酒することが咎められることはなかったものの、酒類の入手がとても困難だった。(この数年後に再度モーリタニアに出張した際には、首都ヌアクショットのホテルで外国人にビールを提供するようになっていたので、この町でもいまはそうなっているかもしれないが)
そう、ビールが飲みたかった。飲みたくて飲みたくて、仕方なかった。だから、休みの日にフェリーに乗ってセネガル川を渡り、対岸のセネガルで一杯飲んで食事をしてから、瓶ビールをケース単位で買い込んで帰ったりした。セネガルもイスラム教色の強い国ではあるが、酒は国内のどこの町でもたいてい手に入るし、田舎町のカフェや小さな食堂でも、ビールやワインを提供していることが多いのだ。
以下は、そんなある日の出来事を書いた、日記ふうの一文だ。
***
ほろ苦い麦の味が、ジョッキから溢れる白い泡が、早く来い、早く来いと対岸で呼んでいる ―
N氏とY氏と僕は、2国を隔てるセネガル川をフェリーで渡っていた。運転手付きで借り上げたレンタカーに乗って、酒のないモーリタニアから酒のあるセネガルへ。
ビールが飲める。ごくごく飲める。ぐんぐん近づいてくる対岸に見える建物は、一杯飲み屋ではないのか?
いや、違った。対岸に到着して上陸してみれば船着き場の上にあったのは、イミグレーション手続きを行なう小屋なのだった。まあいい。慌てることもない。もう、ビールはすぐそこにある。しゅわしゅわと泡のはじける音が、聞こえてくるようではないか。
運転手さんにお願いして、砂埃の舞う駐車場の一角に車を止めてもらう。
まずは入国手続きをと、N氏とY氏ふたりのパスポートを預かり小屋に向かおうとする僕に、「ちょっと待った」と声がかかった。あっちからこっちから、男たちが集まってくる。汗と埃とインチキの匂いのする男たち。
ひとり目の男が言う。
「パスポートと2000フランよこしな。俺がハンコ貰ってきてやる。自分でやったら日が暮れるぜ」
自称“入国手続き代行業者”。そんな業者があるもんか。
「日が暮れても自分でやるよ」
次は“激安美術品商人”。
「この木彫り安いよ。ほかでは見つからないよ」
「さっき対岸でおんなじ物見たよ」
次は“両替商”。その次は“旅行ガイド”。“洗車係”。“窓拭き係”。“日本人の友達”…。
なんでもいいけど、早く冷えたビールが飲みたい。暑いのである。
男たちを振りきり砂埃にむせながら、イミグレーションの小屋に入る。
ごったがえした小屋のなかはまるで蒸し風呂だ。待たされ、割り込まれ、割り込み返してやっとの思いで窓口の担当官にパスポートを渡し、また待たされ、忘れられ、担当官の腕をつついて思い出させ、再度待たされやっとハンコを貰う頃には、頭が朦朧としてくるのだった。
どろどろの汗まみれになって小屋を出れば、強烈な日差しが顔を、首を、露出した部分すべてを容赦なく射る。「煎る」と言ったほうがいいかもしれない。ピシピシと叩かれるように痛い。熱く乾いた風。気温は40度を超えようとしている。
ああ、早く。冷たいビールを呷りたい。
車に戻ると、待っていたN氏とY氏の横で、箒を持った爺さんが何やら現地の言葉で喚いている。言葉の端々にフランス語が混じる。聞き取れるのは、“cotisation、impots、 nettoyage、 japonais!!”― 分担金、税金、掃除、日本人!!―
“ここは公共の場所だ。俺は公共の場所を掃除してる。掃除代はみんなの分担金だ。税金だ。日本人も公共の場所使うなら俺に税金払え!” てなとこだろうか・・。
どうでもいい。溶けてしまいそうに暑いのである。
「さあ、行こうよ・・」とN氏。
「そう。早く行きましょう・・」とY氏。
ふたりとも、朝ホテルを出た時より顔が陽に焼けてる。
運転手が鍵を開け、僕たちはのろのろと車に乗る。車の冷房は壊れていて、中は駄目押しの蒸し風呂。クラクラする。目に映る物も人も、幻影なのではないかと思えてくる。
ふと気が付けば、頼んでもいないのに、誰かが車の窓ガラスをボロ雑巾で拭き始めている。
「た、頼む。車を出してくれ・・」3人口を揃えて運転手に乞う。
冷えたビールを、頭から浴びたい。
後ろで「ドバ!」と音がする。バケツの水をぶっかけて、誰かが車を洗い始めた。
「おい、誰がそんなこと頼んだ?!」
再度よろよろ車を降りて洗車男と問答している間にも、別の男が背後からにゅーっと土産物の入った籠を差し出す。
「いらないって!」
こどもが集まってくる。詐欺師が近寄ってくる。ニセ案内人が、箒持ったお爺が、あっちからこっちから集まってくる。駐車場に繋がれたロバが、ヒヒーホ、ヒヒーホと甲高い声で叫ぶ。
「掘り出し物だよ」
「しつこいぞ!」
「俺は日本のタカハシ君を知ってる」
「俺は知らない!」
「ヒイーン、ヒー、ヒー!」
「車の窓、きれいになったろ?安くしとくよ」
「頼んでない!」
「掃除だ!分担金だ!」
ビールだ・・。ビールはもうすぐそこにある・・。
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ヴィラッジュ・アルティザナル(1)
『思いつきファイル』(電子版のほう)に入っていた写真。
これらの写真も、いつ撮ったものか思い出せない。もう20年以上前だとは思う。被写体はたぶん、セネガルの首都ダカール近郊の民芸品店で買った木彫りだけど、実物はもう手元にない。
ダカールの市内から海岸沿いを車で20分ほど走ったところに、土産物屋街があった。地元の人たちはフランス語で「ヴィラッジュ・アルティザナル」と呼んでいた。日本語にすると、「手工芸村」とでもいったところだろうか。
人物や動物をモチーフにした木彫り、お面、民族衣装を着た人形、皮製品なんかを売る小さな店が、軒を連ねていた。ところどころにアトリエもあって、大小さまざまな人形を彫る様子も見ることができた。
活気があって楽しい場所なのだけど、ゆっくり品物を眺めていることができないのにはちょっと困った。どの店でも、一歩足を踏み入れた瞬間から、店員がのべつ幕無しに声をかけてくるのである。
「アミーゴ!ハロー!ボンジュール!ニーハオ!この木彫りいいね?安くするーね。チャイニーズ?ジャパニーズ?ノープロブレム。グットプライス。アミーゴ!」
基本的にセネガルの人たちとはフランス語でやりとりをするのだが、このヴィレッジ内では何故かどの店でも、「アミーゴ!」というスペイン語での呼びかけに始まり、英語とか中国語とかヘンな日本語なんかが混ざる、ほぼ定型フレーズでの呼びかけなのだった。
たとえば、なかなか良いなと思う動物の木彫りを手にとって眺めていると、嬉しそうに店員が飛びついてくる。
「お。気に入ったかい?あんたなら、これいくらで買う?キリンあるぞ。カバもいいぞ」
「ごめん。買うつもりはないよ」と答えても、そこで会話は終わらない。
「んー?あんたなら、このカバをいくらで買うかって聞いてるんだよ」
「買わないのに、そんなこと聞かれてもね」
「フランス語がわからないのか?俺はあんたに、このカバにいくら値をつけるかって、聞いてるんだ」
「しょうがないなあ。1500セーファー(約300円)くらいじゃないの?」
「!?なんだって?そうか、あんたには物の価値ってもんがわかってないみたいだな。いいかい、これは最高の素材を使って、職人が手作業で丹念に作ったものなんだ。1万セーファーでどうだ?」
「ふ~ん。ずいぶん高いんだね」
「高いって?じゃあ、いくらなら買うんだ?相談に乗ろうじゃないか。あんたは友達だ。アミーゴだ」
「最初から、買わないって言ってるだろ」
「買わないって?じゃあ、なんで値段の交渉はじめたんだ?」
「はじめたのは、あんたじゃないか」
「そう言うなよ。アミーゴ。相談に乗るぜ。いくらなら買うのか、言ってごらんよ」
「いらないっての。ツカレルなあ、面倒くさいなあ・・。」
ひとりごちながらも、こんな掛け合いをけっこう楽しんでいた自分を思い出す。
(続く)
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『思いつきファイル』を整理する。
いつ、どこで、どういう心境で作ったのかまったく思いだせないのだけど、仕事場の整理棚の片隅に、背表紙に汚い字で「思い付き」と書かれたファイルが置いてある。緑色の厚紙にプラスチックの止め具が付いているだけの、2穴の簡易ファイルだ。
いまやすっかり色褪せてぼろぼろになった「思い付きファイル」には、大きさも紙質も不揃いの、たくさんの紙が綴ってある。「綴ってある」といっても、穴も開けずにただ挟んであるだけの紙片も多い。広告チラシの裏面やノートの切れ端に、その時々にふと思い浮かんだことや、印象に残った出来事を書き留めたものだ。 寝床で書いたものもあれば、電車やバスや飛行機の中で書いたものもある。 3日坊主でやめた日記なんかもある。
何だったかの媒体から依頼を受けて書いたけど最終的にボツになったエッセーの原稿なんかもある。もったいないから捨てずにおいて、いつか時間ができたらブログにでも載せようと思っていたもの。思っているだけでいつまでたっても実現できず、とにかくファイルはどんどん膨らむ一方だ。何年か前からは、紙ファイルのほかに、「電子思い付きファイル」まで作ってしまった。PCの中に「思い付き」というフォルダを設けて、ぱっとひらめいたことを忘れないうちに、Wordファイルに書き綴っては放り込むのだ。
いま、そうした紙ファイルと電子ファイルを、一度整理してみようという気になっている。ひとつひとつ読み返して、書いた当時の思い出に浸りながら、このブログに載せていこうと思うのだ。 そうだ、この機に、PCの中に溜まった写真や動画も整理してしまおう。ん! などと、やる気になっている。
さあ、こういうことは、面倒くさくならないうちに、どんどん進めたほうがいい。
まずはPC内の「ピクチャ」フォルダからはじめてみよう。
とフォルダを開いてみると・・・。
んー。これは・・・。膨大なの写真がひしめいていて、どこから手をつければ良いものやら、悩ましい。もういつだったか思い出せないくらいいずーっと昔に撮ったものもあれば、つい最近のものもある。
とりあえず、時系列は気にせず、手あたり次第につまみ出していくしかなさそうだ。
というわけで、まずはとっかかりに、この一枚から。
これ、いつだったかな。たぶん、もう20年以上前だと思う。場所は、よく覚えている。西アフリカ・セネガル共和国のゴレ島だ。
これを撮影した時のエピソードなんかも「思いつきファイル」に綴ってあるので、後日整理して載せようと思う。
***
「思いつきファイル」の中には、アフリカの話がたくさんある。というのは、これまでに仕事でアフリカ大陸の20数か国を訪れ、延べ15年近くをそれらの国々で過ごしてきたから。
アフリカでは、行く先々でいろんなことに驚かされた。来る日も来る日も突拍子もない出来事が待ち受けていて、「これだけいろんなことを経験すれば、もう何があっても驚かないぞ」なんて思っても、次の日には「え!?うわあ。まだこの手があったか。。」とあんぐり口を開ける毎日だった。だから、そのまま忘れてしまうのはもったいない、書き残しておきたい、と思うことが山ほどあるのだ。
さて。ぼちぼち整理しながら、書いていこう。
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