前回は、セネガル・ダカール近郊の民芸品街での出来事について書いた。店員たちとの会話を思い出して苦笑しながら、なぜかアドレナリンが分泌して元気が出てくるような気がした。アフリカ各地でよく経験する、ある意味混沌としたあの掛け合いが、意外と好きなのかもしれない。癖になる刺激、とでも言ったら良いだろうか。
今回も、「思い付きファイル」に挟んであった日記から、かなり混沌とした光景を書き綴った部分を抽出してみようと思う。
上はセネガルとモーリタニアの国境付近で撮影したもの。紙焼きの写真をスキャンした。これも前回のものと同様、かなり昔に撮った写真だ。原本には1996年の日付がっ入っている。1枚目と2枚目は間違いなくモーリタニアだが、3枚目はセネガル川を挟んで隣接するモーリタニアとセネガルのどちら側で撮ったものか、忘れてしまった。
この時私は、このモーリタニアの南西部にある、ロッソという町に長期滞在していた。隣国セネガルとの国境をなすセネガル川の川畔に位置する、小さな町だ。
モーリタニアは、とても暑かった。毎日とにかく暑いので、仕事を終えてホテルに戻ったら、「何はともあれ、とりあえず♪」と言いながら冷えたビールの栓を抜いて、一気飲みがしたかった。
でも敬虔なイスラム教徒たちが暮らすこの国では、当時、異教徒の外国人がホテルの部屋で飲酒することが咎められることはなかったものの、酒類の入手がとても困難だった。(この数年後に再度モーリタニアに出張した際には、首都ヌアクショットのホテルで外国人にビールを提供するようになっていたので、この町でもいまはそうなっているかもしれないが)
そう、ビールが飲みたかった。飲みたくて飲みたくて、仕方なかった。だから、休みの日にフェリーに乗ってセネガル川を渡り、対岸のセネガルで一杯飲んで食事をしてから、瓶ビールをケース単位で買い込んで帰ったりした。セネガルもイスラム教色の強い国ではあるが、酒は国内のどこの町でもたいてい手に入るし、田舎町のカフェや小さな食堂でも、ビールやワインを提供していることが多いのだ。
以下は、そんなある日の出来事を書いた、日記ふうの一文だ。
***
ほろ苦い麦の味が、ジョッキから溢れる白い泡が、早く来い、早く来いと対岸で呼んでいる ―
N氏とY氏と僕は、2国を隔てるセネガル川をフェリーで渡っていた。運転手付きで借り上げたレンタカーに乗って、酒のないモーリタニアから酒のあるセネガルへ。
ビールが飲める。ごくごく飲める。ぐんぐん近づいてくる対岸に見える建物は、一杯飲み屋ではないのか?
いや、違った。対岸に到着して上陸してみれば船着き場の上にあったのは、イミグレーション手続きを行なう小屋なのだった。まあいい。慌てることもない。もう、ビールはすぐそこにある。しゅわしゅわと泡のはじける音が、聞こえてくるようではないか。
運転手さんにお願いして、砂埃の舞う駐車場の一角に車を止めてもらう。
まずは入国手続きをと、N氏とY氏ふたりのパスポートを預かり小屋に向かおうとする僕に、「ちょっと待った」と声がかかった。あっちからこっちから、男たちが集まってくる。汗と埃とインチキの匂いのする男たち。
ひとり目の男が言う。
「パスポートと2000フランよこしな。俺がハンコ貰ってきてやる。自分でやったら日が暮れるぜ」
自称“入国手続き代行業者”。そんな業者があるもんか。
「日が暮れても自分でやるよ」
次は“激安美術品商人”。
「この木彫り安いよ。ほかでは見つからないよ」
「さっき対岸でおんなじ物見たよ」
次は“両替商”。その次は“旅行ガイド”。“洗車係”。“窓拭き係”。“日本人の友達”…。
なんでもいいけど、早く冷えたビールが飲みたい。暑いのである。
男たちを振りきり砂埃にむせながら、イミグレーションの小屋に入る。
ごったがえした小屋のなかはまるで蒸し風呂だ。待たされ、割り込まれ、割り込み返してやっとの思いで窓口の担当官にパスポートを渡し、また待たされ、忘れられ、担当官の腕をつついて思い出させ、再度待たされやっとハンコを貰う頃には、頭が朦朧としてくるのだった。
どろどろの汗まみれになって小屋を出れば、強烈な日差しが顔を、首を、露出した部分すべてを容赦なく射る。「煎る」と言ったほうがいいかもしれない。ピシピシと叩かれるように痛い。熱く乾いた風。気温は40度を超えようとしている。
ああ、早く。冷たいビールを呷りたい。
車に戻ると、待っていたN氏とY氏の横で、箒を持った爺さんが何やら現地の言葉で喚いている。言葉の端々にフランス語が混じる。聞き取れるのは、“cotisation、impots、 nettoyage、 japonais!!”― 分担金、税金、掃除、日本人!!―
“ここは公共の場所だ。俺は公共の場所を掃除してる。掃除代はみんなの分担金だ。税金だ。日本人も公共の場所使うなら俺に税金払え!” てなとこだろうか・・。
どうでもいい。溶けてしまいそうに暑いのである。
「さあ、行こうよ・・」とN氏。
「そう。早く行きましょう・・」とY氏。
ふたりとも、朝ホテルを出た時より顔が陽に焼けてる。
運転手が鍵を開け、僕たちはのろのろと車に乗る。車の冷房は壊れていて、中は駄目押しの蒸し風呂。クラクラする。目に映る物も人も、幻影なのではないかと思えてくる。
ふと気が付けば、頼んでもいないのに、誰かが車の窓ガラスをボロ雑巾で拭き始めている。
「た、頼む。車を出してくれ・・」3人口を揃えて運転手に乞う。
冷えたビールを、頭から浴びたい。
後ろで「ドバ!」と音がする。バケツの水をぶっかけて、誰かが車を洗い始めた。
「おい、誰がそんなこと頼んだ?!」
再度よろよろ車を降りて洗車男と問答している間にも、別の男が背後からにゅーっと土産物の入った籠を差し出す。
「いらないって!」
こどもが集まってくる。詐欺師が近寄ってくる。ニセ案内人が、箒持ったお爺が、あっちからこっちから集まってくる。駐車場に繋がれたロバが、ヒヒーホ、ヒヒーホと甲高い声で叫ぶ。
「掘り出し物だよ」
「しつこいぞ!」
「俺は日本のタカハシ君を知ってる」
「俺は知らない!」
「ヒイーン、ヒー、ヒー!」
「車の窓、きれいになったろ?安くしとくよ」
「頼んでない!」
「掃除だ!分担金だ!」
ビールだ・・。ビールはもうすぐそこにある・・。
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